わたしが四歳かそれくらいのときに祖父が死んだ。私の母の実家は稚内という日本で一番北にある街で
そのとき母と私は札幌に出て二人で住んでいた。すぐに稚内に帰らなくてはいけなかった。
夕方にいつもより早く仕事を切り上げた母が保育園に迎えに来て、キウリとツナのサンドイッチ
を作った。アパートの裏のラッキーというスーパーでサクランボの詩という飴や、おやつを買った
カーキ色の大きな魔法瓶にはコーヒーをドリップして入れていた。
私はなんだかワクワクしていたし、母もあわてているように見えた。
わたしのうちは札幌市の西区というところにあって、稚内に行くには石狩市を通って海沿いの
北海道の北西のきわを走るオロロンラインという道を300キロ北上するのが最短だった。
季節はよく覚えていないけど、もう暖かかったと思う。
今より街灯も少なくて、道沿いには荒野とか畑で、建物もほとんどなく完全に夜になると
矢印や青看板がヘッドライトに反射するだけだった。道の片側には海の崖があり、その反対は
山だったり畑だったりした。畑には時々たき火があって、さびしい感じにぽつぽつ燃えていた。
母に聞くと、あたたかい季節でも夜は寒く霜が降りるのであのようにたき火をたいて畑を霜から
守るのだと言った。
つづきをだいぶながくかいたけど、キーボードを変な風にいじってリセットされてしまったので
またそのうち気を取り直したらかきます・・・・
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