現実の世界は思い通りにはいかないことが多いけれど、
絵の中ではすべてが自分の考えるとおりになるのだ
自由なのだ、他社の存在しないそこでは絶対的な王様に
なれるのだと昔先生に言われた。
そのとき先生が羨ましかったしやっぱり今も羨ましい。
わたしの個人的な印象だけれどままならぬことはないと
言ったのは先生が男の人だというのも関係してるような気がする。
できないことはないって気分は
どちらかというとマッチョ寄りな気がする。
でも、そのとき一緒に話を聴いてた男子クラスメートと
先生が去った後に、先生の言葉について話をしたけど
彼の感想も私と同じく「先生が羨ましい」だった。
彼はマッチョなことは言わない人だったけれど、
同じ研究室にいたマッチョな人びとが聞いたなら
違った感想だったと思う。
先生は好きだったけどマッチョな人びとのことは
苦手であった。
先生は「現実はままならない」と言ったけど若いマッチョたちは
あるていどの現実も他人の犠牲で
(この犠牲には彼らはあくまできづかない。
もしくは当然のことだと考える)
思いのままになるはずだと言う感じだったから
あんまり話が通じなかった。
あの年頃特有のそれなのかと思っていたけどそうでもないらしい。
そして思えば先生にごちそうになったラーメンの数々
はマッチョな味がしていた。
今日は休みだったから、物置から自転車を出したり
タイヤに空気を入れたり、それで海に出かけたりした。
こないだ無印で買ったワンピースが寝巻きに見える。
もしかしたらほんとうに寝巻きなのかもしれないけど
でもちゃんと洋服のところで買ったんだけども寝巻き
だったらやだなあと言うか、まあ、さらにいえば妊婦
に見えるよね…。やせたほうがいいのかもしれない
けど、帰りにあの麻薬のようなキムチチャーハンを
食べてきたよね…。で、スープ代わりにタンメンも食
べたよね…。
砂浜でヒトデの祭壇を作ってきた。
昨日は仕事が猛烈に暇だったんで、お昼にコンビニに
いきがてら雑誌を買うことにして
「ムー」か「ダビンチ」か迷い結局ダビンチに
したんだけどあんまり面白くなかったのでやっぱムー
にしとけばよかったなー…と思ったことを同じ持ち場の
人に話したらみんなムーを知らなかった。
で、内容はこんな感じだよという説明をしたんだけど
なんか、あんまり良さが伝わらず。
ダビンチは6年ぶりくらいに読んだ
テレプシコーラの六花ちゃんが大きくなってて驚いた。
あれからどうなってこうなったのだろうか…。あのライ
バルの可愛くない子はどうしたんだろうか…
くみちゃんだっけ…もう出てきてなかったけども。
ダビンチは数ヶ月前にBL特集をしていたらしく
そっちを読みたかった。
アメリカ人オタク女子によるセルフポートレイトのWeb上のコンテストらしいのを見たんだけど英語を良く読まなかったから雰囲気でそーかそんなんか。と思っただけだけど。アニメ好き虫好き機械好き音楽好きコスプレ好きなさまざまなオタク女子たち…みんな共通の、ちょっと暗い目をしてた。私とお揃いの。
今日は駅のホームのベンチでジュース零したら、近くにいた物凄く派手なギャルに親切にされた。昨日は信号待ちの時、中国人観光客のベビーカー上の赤子が落としたハンカチを拾って親に渡したら、すごい勢いで手から毟り取られた。どっちにも驚いた。ギャルには余分のジュースをあげてお礼をしておいた。
仕事がえりに、職場近くのギャラリーで先輩が絵本のグループ展に参加しているということで見に行ったら、その隣の部屋では同人誌イベントで顔馴染みの袋小路さんという方がお友達とグループ展を開いていて、互いに驚いていた。
駅の改札では大学の時の油絵の先生に一瞬だけ再会し、互いに急いでいたので「やあやあアケミくん」「先生こんにちは」「それではね!」「さようなら!」という感じで短く言葉を交わし、逆方向に走り去った。そういえば木曜日、ベロニカとラーメンを食べながら先生の連れて行ってくれた個性派ラーメン屋の数々を思い出してた。そういうことをすると、その対象にはわりかし出会いやすい。
あと、ずっと前から読みたかった、水木しげるの「まるい輪の世界」をやっと読むことができた。短いけど全体的にものがなしく「ここはさびしいところよ」という台詞があとから効いてきて泣きそうだった。マンガ全体があとから効いてくるものだったような…。