プードルに似た先輩が職場に居て、なんか私が余りにもあれな空気を出してたからなのか、入って半年ほどで私をオタクだと見抜き、優しいのでそれ以来、リボーン(でも、なんか飛び飛びで貸してくれるから間が抜けてて展開が追えない。)とかライトノベルのマ王とか薬屋探偵シリーズを貸してくれるのでなにか、彼女の萌教育を受けている感じなんだけども、話すと面白いと思うところがすごく違って、その理由はツボがちがうと言うだけでなく、わたしは萌生徒として出来が良くないのだ。
薬屋探偵なんかはミステリだけど、解決されずに残る謎が必ずあって、それにかぎらずそんな小説を読むと読了後、
「私が見落としているだけであって実はどこかでさらっと謎が解けてるんじゃないか?」
とか
「うわどうしよう意味が分からん誰か説明してくれ」
とかそんな気持ちが襲ってくるわけで、彼女と話すことと言えば
「あれって結局手つかずで放置されてるけど実際そういう解釈であってるの!?」
とかそんな話だ。
でもあれ自体は、きれいめ文章の、つんとして冷たそうにしてるけどしたたかで優しげな展開のキャラクター小説なのだ。
謎の残る癖のあるミステリ展開はもちろん、なによりも品良くさりげない存在感のキャラたちが魅力的な小説だというのは解るんだけど、はじめは、それに弾かれながら巻を読みすすむごとに徐々にひとりひとりを好きになり、共感したり、良い関係性を持った魅力的な人々だなあという感想を持つに至るという感じで、どうも私の心の反応は萌と呼ぶにはかなり鈍い。なんかたぶんもともと、ガラスの仮面とかバサラとか指輪物語とか大長編物語仕様になっているというのもあるらしく鈍い。
実際その好意が萌に至らなくても楽しめるというか、さらに萌さえあれば倍楽しいというのは解るけども、なんかこう、それに限らず今まで萌ニューロンがじゅうぶんに発達し損なって今に至る。
さっきも書いたようになににも萌えないのでなくすごく遅かったり鈍かったりするだけなんだと思うんだけども。
先週、プードルに辞書ほど厚い中央公論社愛蔵版「風と木の詩」全四巻のうち第一巻を貸してみたら、彼女は仕事が終わってからうちに帰って読んでくれたらしく次の日に
「なかなか面白いね!あれ。もう半分読んじゃった」
と言っていたので超驚いた。
あれを初めて読んだ高校生の夏休み、わたしは今よりもずいぶんエネルギッシュだったのにもかかわらず、カロリーが高すぎて、1日に一冊の四分の一だけ読むことしかできなかったのに、彼女は会社から帰ってから寝るまでの間に半分読み終え、中毒症状(頭痛と混乱と謎のアザラシ的涙)も無いなんて…なんと優秀なことか。
それでいてしっかり萌も押さえているなんて凄腕萌リストに違いない…と確信し、彼女の萌開発を受けていることに今更ながら、ドキドキした。
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他のところで見た記事で考えたこと
私はとても苦手だったのだけれど。
よく、絵の学校で、先生に見てもらう時はとくに自分の作った
作品について説明をしなくてはならぬのだけれど、それはじぶんの
作品に込められた意図やテーマを、説明する責任があるという
のももちろんそうなんだけど、先生に説明する場合は先生から見て
それはうまく行っているのか、先生の長い経験と知識や、センスや、
そのジャンルの優秀な先輩としてのさまざまな事柄から
「こういうやり方のほうが効果的である」とか「意図が伝わりにくいなあ」
とかいろんなアドバイスが聞けるっていうのもあって、そうすることにな
っているのだけれどやっぱり、そうした場面を見たことがある無し
(私は、それぞれの授業の講評や卒制の発表なんかを見ていた)
で、無い人にそれは異様な感じをもたらすらしい。
相手が先生でないにしても、誠実に答えると異様な感じになるんだ
と思う。そして、自分の作品の意図を語ろうとすることは、誠実にな
らざるをえないんでどっちにしても無防備に、異様になってしまうの
かもしれない。
言葉と文章にならないものを絵画などの作品にしているわけで、
それを言葉に翻訳するのって作品にもよるけど大変だと思う。
政治的なテーマとか、世界に向けてのメッセージとかじゃ
ない場合、言葉にしたとしてごくごくプライベートだったりして人に言
わないことだったりもたくさんあることだろうと思う。
しかし、作品を発表する以上「自分の作品はこういうことを意図し
ています」と言い切るのは他に説明できる人など居ないので
説明責任で義務なんだと、基本的にはそう教えられた。
学校ではそういわれたけども、どこまで話すかは本人の自由だ。
相手は先生ではないし。そこまで話すか話さないか、質問を
流すかは自分を守るために、相手の目的や態度を見て決めるのだと
思う。話さないと決めたことは、話す必要が無い。
もうしたくないし、多分これからする機会もなさそうだけども。
干しイチジク・ベーグル・赤い手帳・クリームチーズ
手に取った異常に赤いマフラーは、
中学生女子・小学生女子・熟年女性に。
私の、衰えた肌や顔色にあわせてはいけないようだ。
でも今着ている変なコートにやっと合う色を見つけたと
思ったんだけども。
春コミに行くことになった。ので
テレビで見たアメ横の、すんごい珍味屋さんに行って
見たい。甘栗を一袋買うと、なんか知らないけどおまけ
の甘栗を3袋くらい付けてくれるの。意味が分からない。
で、豆菓子を買うとやっぱりおまけをおんなじくらい付け
てくれるの。で、おまけの付け方がすんごい笑顔で
「これも、これも、これもおまけだ~~~~~!エイ!」
って言いながら買った菓子の袋の上にバカスカ乗せてくる
の。すんごく変。
すんごい長い日記を書いてたけど、消えちゃって辛かったんでもう寝ようと思う
年末から見てたアニメを見終わったとか、そんなことだったんだけど。
それでもしんどい。
よろいの人はライトノベルの表紙。
そう、読んでるライトノベルの話とか。
こないだ、久しぶりに餃子館って言う中華料理屋に行ったら、前に行ったのって二年か三年前だと思うんだけども、何のこともなく定食を頼んだのに、A4くらいの皿からはみ出すほどに盛られた炒め物が。一家四人の夕食のおかずくらいの量で、お腹減っていたのに見たとたんお腹がいっぱいになって「うへえ」と思って食べ始めたら、向かいに座っていた母の注文した餃子定食も到着。見たら、大降りの餃子が12個、またA4の皿に乗っていて「あああ...」といいながら食べ始める母。「ねえこうだっけ?ここってこうだっけ?」と混乱しつつ食べていたらなぜか店員さんが餃子を追加で六個も持ってきたので「ああ!」と驚いたら「ちょっぴり焼き目が気に入らないもんで・・・★」といって可愛く笑ってきたので泣きそうになりつつ「さすが、餃子にこだわってるんだな...そして優しいな...でもしんどいな...そのこだわりと優しさ」と思いつつ食べ続け、結局両方とも食べきれずに持ち帰ってきたのだった。二、三年前は余裕だったような...店の方針が変わったのか私が弱ったのか。悔しいけど多分私が弱ったんだと思う。おんなじことばっか書いてる気がする悔しい。お腹壊す落ちも一緒で、朝に会社で四回トイレに行ったら、掃除の人に舌打ちをされた悔しい。美味しいんだけど、でも、もう気軽に行けるところではなくなってしまった。
あのあたりはお店はまばらだけれどどうも大盛り系が目立つ一帯のようだ。
そこからほんのちょっと離れた場所に浜ちゃんぽんっていうラーメン屋さんがあって、そこの名物の不思議ラーメン浜ちゃんぽんは、それはもう中華の回転テーブルにあるスープ皿のように大きなどんぶりに、ものすごく透き通った海水のようなあっさりスープがあふれるほど満たされ、のぞきこむと大量のわかめが揺らめいて麺が見えないんだけどイカが丸ごと泳いでいて、ホタテや丸ごとの海老もわかめの間で揺らめいていてまさに海。お座敷に座った人は、立てなくてずっと座っているし、立とうとしても、お腹がいっぱい過ぎて転ぶ人がたくさんいるんだ。面白いけど気軽にはいけないんだ...。そしてそれはすごく、美味しいってわけでもない。むしろそこのお店で美味しいのは3人分くらいだけど一人前の海鮮あんかけ焼きそばなんだ、立とうとすると転ぶ落ちは一緒だけれども。