他のところで見た記事で考えたこと
私はとても苦手だったのだけれど。
よく、絵の学校で、先生に見てもらう時はとくに自分の作った
作品について説明をしなくてはならぬのだけれど、それはじぶんの
作品に込められた意図やテーマを、説明する責任があるという
のももちろんそうなんだけど、先生に説明する場合は先生から見て
それはうまく行っているのか、先生の長い経験と知識や、センスや、
そのジャンルの優秀な先輩としてのさまざまな事柄から
「こういうやり方のほうが効果的である」とか「意図が伝わりにくいなあ」
とかいろんなアドバイスが聞けるっていうのもあって、そうすることにな
っているのだけれどやっぱり、そうした場面を見たことがある無し
(私は、それぞれの授業の講評や卒制の発表なんかを見ていた)
で、無い人にそれは異様な感じをもたらすらしい。
相手が先生でないにしても、誠実に答えると異様な感じになるんだ
と思う。そして、自分の作品の意図を語ろうとすることは、誠実にな
らざるをえないんでどっちにしても無防備に、異様になってしまうの
かもしれない。
言葉と文章にならないものを絵画などの作品にしているわけで、
それを言葉に翻訳するのって作品にもよるけど大変だと思う。
政治的なテーマとか、世界に向けてのメッセージとかじゃ
ない場合、言葉にしたとしてごくごくプライベートだったりして人に言
わないことだったりもたくさんあることだろうと思う。
しかし、作品を発表する以上「自分の作品はこういうことを意図し
ています」と言い切るのは他に説明できる人など居ないので
説明責任で義務なんだと、基本的にはそう教えられた。
学校ではそういわれたけども、どこまで話すかは本人の自由だ。
相手は先生ではないし。そこまで話すか話さないか、質問を
流すかは自分を守るために、相手の目的や態度を見て決めるのだと
思う。話さないと決めたことは、話す必要が無い。
もうしたくないし、多分これからする機会もなさそうだけども。
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